ウィーン会議とは何か|【第15回】「会議は踊る」の本当の意味

レキシ(歴史)の学び方

世界史の授業で一度は耳にする言葉があります。

「会議は踊る、されど進まず」

ウィーン会議につけられた、有名なフレーズです。

しかし、こう感じる人も多いでしょう。

・何が踊ったの?
・本当に進まなかったの?
・そもそも何を決めた会議?

名前だけは有名なのに、実態がイメージしにくい出来事の一つです。

この記事では、ウィーン会議を

👉 社交界の舞踏会ではなく
👉 ヨーロッパ再設計のための巨大プロジェクト

として理解できるよう整理していきます。


◆ 結論:ウィーン会議とは「革命と戦争の揺れ戻し」である

最初に結論を述べます。

ウィーン会議とは、

フランス革命とナポレオン戦争によって壊れたヨーロッパの秩序を、
もう一度王様中心の世界へ戻そうとした国際会議

です。

キーワードは二つです。

正統主義
勢力均衡

この二つの考え方によって、19世紀のヨーロッパの枠組みが作られていきます。


◆ そもそも何のために開かれたのか(因果の補助線)

ウィーン会議は突然開かれたわけではありません。

背景には、ナポレオン戦争があります。

・国境線は塗り替えられ
・王様は追放され
・ナショナリズムが刺激され

👉 ヨーロッパは「地図も制度もぐちゃぐちゃ」になりました。

そこで各国は考えます。

「この混乱したヨーロッパをどう立て直すのか」

その答えを探るために開かれたのが、
1814年から始まるウィーン会議です。


◆ 誰が参加し、誰が主役だったのか(人物で覚えない)

単なる暗記ではなく、役割で理解します。


主な参加国とキーパーソン

  • オーストリア
     👉 主催国 / 外相メッテルニヒ
  • ロシア
     👉 皇帝アレクサンドル1世
  • イギリス
     👉 外相カースルレー
  • プロイセン
  • フランス
     👉 外交家タレーラン

ポイントはここです。

👉 フランスは敗戦国なのに、交渉の中心に戻ってきた

タレーランが、

・「正統性」を掲げて理論戦を展開
・「勝者だけが全てを決めるのは不当」と主張

これによりフランスは国際政治の場へ復帰します。

ここから分かるのは、

ウィーン会議は力だけの世界ではなく、
理屈(正統性)をめぐる戦いでもあったということです。


◆ 正統主義とは何か(名前の補助線)

正統主義とは一言でいうと、

「正しい王様は正しい家系から出る」
「革命で追い払われた王は元に戻すべきだ」

という考え方です。

つまり、

・王様は神から与えられた存在
・国民の意思で王を変えてはいけない

という、フランス革命以前の発想への回帰です。

この考え方に基づき、

・追放されたブルボン家がフランス王に復活
・各地の旧王朝が復帰

👉「革命前の状態に戻す」揺れ戻しが起きました。


◆ 勢力均衡とは何か(構造の補助線)

もう一つの柱が、**勢力均衡(バランス・オブ・パワー)**です。

考え方はシンプルです。

どこか一国だけが強くなりすぎないようにする

理由ははっきりしています。

・フランスが一強になった結果
 👉 ヨーロッパ中が戦争になった

という反省があったからです。

そこで、

・国力が拮抗するように領土調整
・他国が強くなりすぎたら連携して抑える

という枠組みがつくられました。

これは19世紀の国際政治の基本原則となり、

👉「大戦争が起きにくいヨーロッパ」を作り出します。


◆ 「会議は踊る、されど進まず」の本当の意味

ウィーン会議は非常に長く続きました。

・各国の利害が複雑
・領土配分で対立
・社交界の舞踏会が連日開催

その様子を揶揄して、

会議は踊る、されど進まず

という言葉が生まれました。

しかし歴史を俯瞰すると、

👉 実際には「驚くほど進んでいた」とも評価されています。

なぜなら、

・ナポレオン戦争後の秩序を再構築
・その後約100年間、大国同士の全面戦争が回避

クリミア戦争まで、ヨーロッパは大戦争を経験しない

つまり、

目立つのは舞踏会だが
実態は「長期安定の設計図づくり」だった

ということです。


◆ ウィーン体制は何をもたらしたのか

ウィーン会議をもとに形成された国際秩序を、

ウィーン体制

と呼びます。

その特徴は次の二つです。


① 保守的秩序の復活

・王政復古
・自由主義・民主主義の抑圧

👉 革命的運動は徹底的に押さえ込まれました。


② しかし、下から新しい力が湧き上がる

・自由主義(憲法・国民の権利を求める)
・民族主義(自分たちの国民国家をつくりたい)

これらは地下で発酵し続けます。

やがて1848年革命、ドイツやイタリアの統一運動へ発展します。

つまり、

ウィーン体制は安定をつくりつつ、
同時に次の大変動の火種もつくっていた

と言えるのです。


◆ まとめ|ウィーン会議を「踊り」ではなく「設計」として理解する

今回のポイントを整理します。

・ウィーン会議とは
👉 ナポレオン後のヨーロッパ再設計会議

・目指したのは
👉 革命と戦争以前の秩序への揺れ戻し

・柱は
👉 正統主義と勢力均衡

・「会議は踊る」とは
👉 社交界の華やかさを皮肉った言葉

・しかし実際には
👉 ヨーロッパに「長い平和」をもたらした

ウィーン会議は、

過去に戻ろうとした会議であり
結果として近代に続く秩序の出発点になった会議

でした。

この記事を書いた人
レキシラボ管理人

レキシラボ管理人です。
このブログでは「歴史に、補助線を。」をコンセプトに、歴史を点で暗記するのではなく、流れ・因果関係・構造で理解する学び方を紹介しています。

学生時代、年号暗記が苦手で歴史が嫌いでしたが、「つながりで理解する」と一気に楽しくなりました。

同じように、歴史が苦手な人・これから学び直したい社会人・受験生の方に、少しでも“なるほど”を届けられたら嬉しいです。

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